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長福寺の歴史

長福寺は、山号を夏見山(なつみざん)と称します。

宗派は、禅宗の曹洞宗です。ご本山は、福井県の永平寺と横浜市鶴見の總持寺です。
開創は、円融天皇在位の平安時代(969−984)頃で当時は、天台宗のお寺でした。天台宗の僧侶、得蓮(とくれん)上人がご開山と伝えられております。

鎌倉時代(1186−1333)に入り、守護・地頭を設置した時期には、すでに夏見の地が荘園であったことで、 長福寺が夏見の地名由来にとても深い関係があったとされております。

その後、しばらく荒廃した時期もありましたが、室町時代の永禄年間中(1558−1569)に、 夏見の領主でありました夏見加賀守政芳(なつみかがのかみまさよし)公が、 現在の長福寺の境内地に夏見城を築城しました。その面影がお寺の裏手北東にあります林の土塁が遺構といわれております。

その城主である夏見加賀守政芳公が中興開基となり、 天台宗の僧侶空山(くうざん)和尚を招請し長福寺を再興したことが、 現在も当山のご本尊様であります聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)立像の胎内に記されていたことが 、近年の船橋市文化財調査において発見されたことで、ご本尊様は、船橋市指定文化財となりました。

時が経ち、船橋市西船の宝成寺二世能山鷹芸大和尚をご開山として招請し、天台宗から曹洞宗に改宗されました。また、慶安二年(1649)10月17日付で、三代将軍徳川家光公より観世音堂領として五石の御朱印状を下付され、 十四代将軍徳川家茂公に亘る間下付され続けておりました。当山の寺紋が三つ葉葵なのは、その故であります。
この夏見村には、代々の将軍が鷹狩りに来ていたようで、家臣やその兵たちが夏見村の家に寄宿し、大皿で振る舞ったという言い伝えが現在も残っています。

明治期になると戊辰戦争の戦火により、寺院の伽藍(本堂、書院等)は、焼失してしまいましたが、当時の住職が死を賭して、ご本尊様と檀信徒過去帳を持ち出したお陰でそれらが現存しております。

幾多の災難を檀信徒とともに乗り越え、開山以来約1040年間連綿として法灯を守り続け、平成の今の世まで至っております。

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